渡部昇一先生がご逝去された。
二ヶ月程前にあるパーティでお目にかかり、車椅子の先生にご挨拶した際「少し痩せられたかな」と心配したが、先生は笑顔で励ましてくださった。
私は11回の選挙を経験し3回落選したが、落選の度に渡部先生の門を叩いてお教えを乞い、私の国家観・歴史観の柱が出来た。
サッチャー元首相の信念を形成したとされるハイエクの「隷属への道」、中村粲先生の「大東亜戦争への道」、
パル判事の「パル判決文」などを、先生のご指導のもとで丹念に読み議論をさせていただいた。…
また昭和の軍事史や頼山陽の「日本楽府」なども勉強させていただいた。
30代の時に、マッカーサーの「日本が戦争に飛び込んで行ったのは、ほとんどが自国の安全のためだった」という証言を教えて頂き、
その時に覚えた証言の英文の原文を何故か暗記していたら、新しい歴史教科書採択時の杉並区長としての答弁に役立った。
資料は一次資料に当たらないといけないと知った。
渡部先生は、私が杉並区長時代に、お隣の練馬区から杉並区に転居され、区長時代も何かとご指導いただいた。
私のパーティや会合にもほとんど出席していただいた。
私にはなくてはならない大先生だったし、日本にとってなくてはならない碩学だった。
今我が国は、「戦後」の大きな分岐点の中で、国家としての自立の道を踏み出し始めなければならない時。
もう少し先生にはお元気にご指導頂きたかった。
本当に悲しく残念の一言に尽きる。
渡部先生ありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。