個人においても、社会においても、そして国家においても、これこそが共通する「幸福の姿」ではないでしょうか。
日本のめざすべき姿を考えるときも、この観点をまず基本に置かなければならないと思います。
「日本とはどのような国か」。
それを考えることによって、この世界のなかで日本の「天分」とは何かが見えてきます。そして「日本の天分」が明らかになってはじめて、その「天分」をいかに活かし、いかなる国づくりをし、いかに世界に貢献していくかという「わたしたちの幸福なる使命」が明確になります。
わたしたちは、先人たちの積み上げてきた歴史をいかに受け継ぎ、いかに磨き上げ、いかに次代に手渡していくべきか。「日本よい国」と誇りをもって胸を張れる国とするために、わたしたちは何をなすべきか。
それらを実現させるため、私は生涯をかけて取り組みます。
Profile
山田 宏【令和6年11月18日現在】 ●自由民主党・組織運動本部 本部長代理 ◯「日本の尊厳と国益を護る会」 幹事長 ●朝日大学歯学部 客員教授 ◯元防衛大臣政務官 兼 内閣府大臣政務官 ◯元衆議院議員 ◯元杉並区長 |
座右の銘 | 前人木を植え、後人涼を楽しむ (前を行く人は苗木を植えて、後ろから来た人が、その木が育ってその木陰で涼をとれるように、全て次の人たちの事を考えて行動してゆく) |
趣味 | ダイビング (今は、忙しくなかなか行けない) |
愛読書 | 自助論(スマイルズ) 幸福と成功は自助努力でしか得れないことがこの本でわかった |
尊敬する人 | 松下 幸之助氏 末次 一郎氏 |
History
0歳、母とともに |
元気いっぱいの幼少期 |
剣道少年(小学校3年) |
昭和33年 (1958) |
1月 | 東京都八王子市に生まれる(1月8日) |
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昭和48年 (1973) |
3月 | 国分寺市立第三中学校卒業 |
4月 | 都立国立高校入学 (在期:昭和48年(1973)4月~昭和51年(1976)3月) ・在学中はラグビー部に所属。ポジションは、CTB。
在学中にロッキード事件(1976年)が起こる。今日の政治家と幕末・明治期の政治家とが大きく違うことにショックを受けた。 これが政治家を志したきっかけに… |
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昭和52 (1977) |
4月 | 国立京都大学 法学部入学 (在期:昭和52年(1977)4月~昭和56年(1981)3月) ・大学でもラグビーを続ける。 ・国際政治学の高坂正尭先生のゼミで学ぶ。 |
山口大学付属山口中学校に入学 中学二年で、 国分寺市立第三中学校に転校 |
ラグビーに打ち込んだ青春時代(一番右) |
大学生時代 |
昭和56年 (1981) |
4月 | 松下政経塾に第2期生として入塾 (在期:昭和56年(1981)4月~昭和60年(1985)1月) |
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昭和60年 (1985) |
7月 | 東京都議会議員に当選(史上最年少)2期8年務める (在期:昭和60年(1985)7月~平成5年(1993)7月) |
平成5年 (1993) |
7月 | 衆議院議員選挙に立候補、当選 (在期:平成5年(1993)7月~平成8年(1996)9月) |
平成8年 (1996) |
9月 | 衆議院議員選挙で落選 この頃に自分の原点について改めて考え直し、 自らの天分に気づく。 また、国政に戻ることしか考えていなかった時に、支持者のある年配の婦人に「国会でなければできないわけはない。杉並モデルを全国に伝播させるのも日本をよくする道」と言われ、区長への道を考え始めた。 |
尊敬する故松下幸之助塾主と |
杉並区長時代。議場に立つ |
平成11年 (1999) |
4月 | 杉並区長に当選 【区長時代の実績はこちら】 (在期:平成11年(1999)4月~平成22年(2010)5月) ・就任当日、区役所に国旗掲揚。 「国家あっての地域、地域あっての国家」国旗はそのシンボル。 ・「専決処分」で自らの給与を10%削減ボーナスは半分に。 これは自分の行政に対する基盤。 |
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平成21年 (2009) |
2月 | 「日本よい国」構想 出版 【「日本よい国」構想の詳細はこちら】 日本の指導者に必要な国家観、歴史観など国家理念を書き上げた。 2008年初頭より国家のモデルを整理しておこうと構想を練る。 途中理念を共有する同志が数人参画、進捗に弾みがつく。 |
平成22年 (2010) |
4月 | 日本創新党 結党 党首就任(~平成24年9月) |
5月 | 杉並区長辞任 | |
7月 | 参議院選挙 東京都選挙区で出馬、落選 | |
11月 | 実践政治スクール 東京で開講(~翌年2月) | |
平成23年 (2011) |
5月 | 実践政治スクール 大阪で開講(~10月) |
平成24年 (2012) |
2月 | 大阪市特別顧問 就任(~11月) |
4月 | 大阪府特別顧問 就任(~11月) | |
5月 | 実践政治スクール 一般公開講座 開講 実践政治スクール 中国古典講座 開講 |
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10月 | 日本維新の会 入党 【日本維新の会 公式HP】 | |
12月 | 第46回衆議院議員選挙にて比例当選 | |
平成25年 (2013) |
5月 | 海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 委員長に就任 |
平成26年 (2014) |
7月 | 日本維新の会 解党 |
8月 | 次世代の党 結党 幹事長に就任 | |
12月 | 衆議院議員選挙で落選 | |
平成27年 (2015) |
3月 | 国家経営研究会代表理事 就任 |
9月 | 自由民主党 東京都参議院比例区第二十二支部 支部長 国家経営研究会代表理事辞任 |
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平成28年 (2016) |
7月 | 第24回参議院議員選挙にて比例区当選 |
平成30年 (2018) |
10月 | 防衛大臣政務官 兼 内閣府大臣政務官に就任 |
令和元年 (2019) |
9月 | 参議院自由民主党 副幹事長に就任 |
令和2年 (2020) |
10月 | 自由民主党 広報本部 本部長代理に就任 自由民主党 国防部会 部会長代理に就任 |
令和3年 (2021) |
12月 | 参議院厚生労働委員長に就任 自由民主党 組織運動本部厚生関係団体委員会 副委員長に就任 |
令和4年 (2022) |
7月 |
第26回参議院議員通常選挙にて当選(2期目) |
8月 |
参議院厚生労働委員長 再任 |
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令和5年 (2023) |
10月 |
自由民主党 副幹事長に就任 自由民主党 参議院副幹事長に就任 自由民主党 社会教育・宗教関係団体委員長に就任 自由民主党 内閣第一部会長代理に就任 |
令和6年 (2022) |
11月 | 自由民主党本部 組織運動本部 本部長代理に就任 |
実践政治スクールで教鞭を執る |