昨日(10月14日)行われた「平成24年度観艦式」に参加した。
観艦式とは海上自衛隊の観閲式で、陸上自衛隊、航空自衛隊がそれぞれ順番に毎年行っている自衛隊観閲式の1つで、観艦式は現在は3年に一回、海上自衛隊艦船の約6割が相模湾に集合して行われている。
私は朝7時過ぎに横浜港大桟橋に着き、護衛艦「ひゅうが」に乗船。9時前に陸上自衛隊の音楽隊の演奏する「軍艦マーチ」とともに出向し、観艦式会場となる相模湾沖に向かう。11時までには、観閲部隊5隻、そして観閲付属部隊5隻の計10隻が二列に並んで航行。壮観だ!そして「ひゅうが」の前は、野田総理の乗る護衛艦「くらま」だ。
そして12時前から観艦式が始まる。観閲部隊と観閲付属部隊の間を、観閲を受ける部隊の29隻の護衛艦、潜水艦、掃海艇、輸送艦、ミサイル艇、水陸両用船などが、整然と正面から逆方向に一列に並んで航行して、我々の前を通り過ぎていく。米国、豪国、そしてシンガポール海軍の3隻の艦船や海上保安庁の巡視船も参加していたが、参加予定の韓国海軍の艦船はドタキャンだそうだ(全く失礼!)。
参加は艦船だけでない。ヘリコプター隊やP3-C対潜哨戒機等も参加したが、悪天候のために航空自衛隊のF-2やF-15などの最新鋭ジェット戦闘機は参加取りやめとなった(残念)が、自衛隊の士気の高さが感じられ、本当に頼もしい観艦式だった。
ただ何点か戦後日本の持つ、すっきりしない課題も感じた。
まず「護衛艦」という言葉。他国は戦艦、空母、駆逐艦、巡洋艦などの区別が軍艦にはあるが、日本は軍艦という言葉も、その中の区別もなく、すべて「護衛艦」だ。
なぜか。それは憲法9条の解釈もあって、「軍隊」に関わる用語の使用を控えているからだ。
自衛隊は世界のレベルからみれば軍隊そのものだが、国内向けには憲法の制約上ごまかしてきている。
また自衛官の階級も、「少佐・中佐・大佐」は「3佐・2佐・1佐」と、国内向けにはかつての軍隊の階級名をごまかしているが、英語では「1佐」は、「大佐」の「colonel」を使用している。私のお会いした自衛官は本来は「小林大佐」だが、日本では「小林いっさ(1佐)」となる(小林一茶?)。
私の乗船した「ひゅうが」は、ヘリコプター搭載護衛艦と呼ばれ、広い甲板をもつ13,950トンもある大きな軍艦で、小型空母としても使えるように思えたが、憲法上自衛のための装備しか持てないことになっていることで、空母ではなくヘリコプター搭載護衛艦だ
しかし今や中国が空母を、北朝鮮が核ミサイルを保有しているのに、いつまでわが国の自衛力をこのようにごまかし続けることができるのだろうか。
このようなごまかしを続けて、国家と国民を守るために、最後は自らの命をかけなければならない自衛官の士気が本当に上がるのか。また「自分の国は自分で守る」という当たり前の責任感が国民に生まれるのだろうか。
尖閣をはじめとした南西諸島の中国との緊迫、北朝鮮の核、韓国の反日的な行為、そして北方領土でのロシアの非妥協的姿勢。その上同盟国である米国の財政難による軍事費の大幅削減の流れ。
わが国が、「自分の国は自分で守る」という正気を取り戻して、一日も早く、現実的で戦略的な眼で自力防衛と自立外交を展開できるように立て直す必要があると改めて感じた。