昨日は、松下政経塾の同窓である小野寺五典代議士の地元である宮城県気仙沼市と南三陸町を救援で訪ねた。この両地区とも、今回の大地震の被災地としては最大級の被害を受けた場所である。
気仙沼市の中心部も大きな被害を受けていたが、中心部から海岸沿いに南の町や村(気仙沼市内)は、ほとんどが壊滅状態だった。家や建物は跡形がなく、橋脚は落ち、道路が寸断されていた。またさらに南にある南三陸町は、津波で町の中心部すらそっくりなくなってしまっていた。
「一体ここで何が起きたんだ」
と、茫然自失、言葉を失う。
気仙沼市の菅原市長と、震災本部のある防災センターで面会した。
「多くの住民が住居を失った(ご自身も)。またかろうじて住居のある方も家の食糧や生活物資が底を尽き、避難所に集まりつつある。県が進めている仮設住宅もあと数ヶ月かかるので、今の課題は長期化する避難所生活の維持だ。だから『継続的な』支援をお願いしたい」
「特にいま必要なものは、まず食糧。米、調味料、そしてレトルト食品や缶詰。動物性タンパク質が不足してきている。次に衣料。特に下着類はすぐ欲しい。お風呂に入れないので、体を拭けるウェットタオルや、高齢者、赤ちゃん、女性用の衛生用品。その他生活用品。またガソリン、軽油、灯油。また避難所で使う畳などもあったら嬉しい。みな段ボールの上で寝ている」
気仙沼の状況は、これまで救援に伺ったどこよりも厳しいと感じた。すぐ一緒に活動しているウィンローダーさんに連絡をとり、必要な物資をとりあえず10トントラックで運んでいただくことをお願いした。
南三陸町の佐藤町長とは、高台にある町のセンター内にある薄暗い震災本部(まだ電気が通っていないのだ)で面会した。
町長は、震災時に町の中心部にある町役場の隣の防災センター(写真中央部のアンテナ塔のある建物)の屋上で、30数名の職員と打ち合わせをいている時に、津波に襲われた。11メートルある3階建てのセンターを超える大津波は全く想定しておらず、皆流された。そして町長ら7名は屋上の鉄柵にたまたま引っかかって助かったそうだ。その夜は雪。凍える中濡れた体で、第二波第三波の大波を、屋上のアンテナ塔に上って乗り切ったそうだ。
「交通事情もあり、南三陸町は気仙沼より物資は充足してきている。何よりもいま必要としているのは、ガソリン、軽油、そして灯油。特に軽油は、ご遺体の焼骨やがれき撤去の重機の燃料で、かなり不足している」
「ここの住民のほとんどが住居を失った。だから避難所生活の長期化が避けられない。『継続的な』支援を必要としている」
と、町長。
昨日朝7時に都心を立って、帰宅したのは今朝4時半だった。
「日本を創新する会」は、その首長や地方議員のネットワークを活かした救援活動を進めています。被災地の首長に直接会って、「必要なものを、必要なだけ、必要な時に、直接届ける」ことを原則として、これからも救援活動を展開していきます。
そのためには、皆さんのご協力ご支援が是非必要です。義援金、救援物資、そしてボランティアの登録にご協力ください。詳しくは下記赤地の「日本を創新する会」のウェブをご覧ください。
よろしくお願いします。