昨日東北地方を中心に襲った巨大地震から一夜明け、まだまだ地震や津波の被害は続いていますが、日本を襲ったこの大きな悲劇で亡くなられ、また甚大な被害を受けられ、避難生活を余儀なくされている多くの被災された皆さまに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
またいまだに行方のわからない多くの方々がおられ、全国のご家族、ご親戚、そしてご友人の皆さまのご心配もいかばかりかと拝察します。行方のわからない方がご無事でありますように心から祈ります。
私は杉並区長時代の平成16(2004)年10月、新潟県を襲った中越地震により、杉並区の友好都市である新潟県小千谷市が大きな被害を受けた際、その支援に関わりました。その時の経験では、まずは迅速であることが一番大事だと思います。救助救援はもとより救援物資の搬入など、被災直後の行動はまず全て「早しよし」です。
役所仕事は「先方とよく打ち合わせした上で適切に」となるのですが、被災直後は「まず職員等を派遣して何が必要かを自ら確かめてみる」「まず今ある救援物資を(空から投下してでも)早く届ける」ということが、どんなに被災している方々を力づけるかを私は経験しました。また必要な救援物資の中では、とりわけ乾電池式の携帯電話充電器や紙おむつなどの衛生用品など、気づきにくいけれども被災者が強く必要としているものがあります。
被災から三日後くらいから、被災支援の内容も変わります。当面の食糧や衣類は行き渡ることが多く、食事も工夫が必要となり、またトイレの衛生管理や臭いの処理、お風呂などの生活環境、また車で避難生活を余儀なくされている方々の健康管理などにも注意を払う必要が出てきます。
また多くのボランティアが必要となり始めますが、おそらくボランティアを希望しても、それに適切に対応できる体制を整えられる役所は現実問題として多くないかもしれません。その場合は体制が整うまで、行政と住民とボランティアをつなぐ窓口を各地域で自主的につくっていく必要があるでしょう。
まずはここ一週間が大事な時です。
日本の国民の精神と力と結束力を示す時です。皆さまと一緒になって、一人でも多くの被災者を救済し、日本を襲ったこの大きな悲劇と試練に立ち向かっていきたいと考えています。