8月15日。
70年前の正午に全国民が天皇陛下の戦争終結お言葉を聞いた。
私の父は、海軍航空隊の少尉として厚木基地で迎えた。
正午に召集がかかった時は、陛下からは「一層奮起せよ」とのお言葉を誰もが予想していたそうだ。
だが、玉音放送が始まり暫くして敗戦がわかると、すすり泣く者、茫然自失の者、ヤケを起こして駆け出していく者など、基地内は糸が切れた凧のような状態になったと、今年90歳の父の話。
そして「その日の朝も戦友達は何も知らずに飛び立ち、還って来なかった」と。
結果として父は命がつながり、そして今の私がいる。
もし玉音放送がもっと後だったら、父もなく、私もこの世に生まれなかった。
父の前に国のため、家族のため、愛する人のために、尊い命を捧げ犠牲になってくれた多くの人達がいたからこそ、私がいるのだ。
私だけではなく、今ある人々の人生は皆、その命を捧げてくれた英霊の尊い犠牲の上にある。
その事に思いを致せば、有難い自分の存在と人生を、若くして散ったその方々の分まで大事にして生きていこうと、力が湧いてくる。
だから私は11年間の杉並区長時代、成人式では必ず英霊の方々の遺書を紹介し、若い人達に、その方々の分まで大事に人生を生きることを伝えてきた。遺書の力は偉大で、杉並の成人式は、しーんとした厳粛なものになった。https://www.youtube.com/watch?v=h5xs5swpWZg
安倍首相談話。
これからは、首相が替わる度に「村山談話を継承していく」などと言う必要がなくなったことも良かった。
これからは、聞かれたら「安倍談話を引き継ぐ」と言えば、それで済む。