○山田宏君
自由民主党の山田宏でございます。
本日は、緊急事態に関する質疑であります。緊急事態となりますと、天災、パンデミック、戦争、様々なものが考えられる。緊急事態ですから、平時ではありません。いざとなったら、やはりやり方が変わるわけであります。スイッチが変わるわけであります。私は、その自分の経験を一つお話をしておきたいと思います。
一九九九年から二〇一〇年まで、私は杉並区の区長を務めておりました。杉並区と新潟県の小千谷市は災害援助協定を結んでおりました。それは二〇〇三年のことですね。そのときは東京直下型地震を想定して、いざというときは新潟県の小千谷市からおいしいお水とお米を運ぶというのが想定された構図でした。
ところが、二〇〇四年の十月二十三日土曜日、時間は十七時五十六分、土曜の夕方ですね、中越地震が発生をいたしました。震源地は小千谷市周辺でございました。大変なことになったと。我々が援助してもらおうと思っていたのに援助しなきゃいけないということで、土曜は区役所は開いておりませんでしたけれども、私も区長として区役所に出ました。
そして、ぱらぱらと幹部が集まってまいりました。そして、まずは援助をしていかなきゃいけないということで議論を始めたんですけれども、私は、区内にある、杉並区内にある緊急の地震用の倉庫に入っているものを全部持っていけと言ったんですよ。もうトラックかき集めて全部一遍に持っていけと、早いことが一番大事なんだということを話したら、役所の人たちみんな、助役から含めてみんな反対。現場の情勢が分からないのに、何で、持っていったってしようがないじゃないかと、まず現場の情勢を把握した上で必要なものを送るべきだと、こういう議論なんですね。
そうしたら、私は、現場の情勢っていつ分かるんだと。刻々と変わるんだから、正確なものなんか分かりゃしないんだと。ここは想像力を働かせて持っていくものを決めるべきだと。早いことが一番いいと。そうでなければ命を救えないと。そういうのが考え付かないのであれば、倉庫に入っているやつ全部持っていけと言ったんです。これは区長じゃなきゃ決断できなかったと思うんです。そして、トラックも、走っているトラック止めろと。そして、それに積んでとにかく早く行けということを指示したわけであります。もう全部超法規的措置であります。
そして、行くまで、関越自動車道は恐らく寸断されておりますから、警視庁に頼んで先導をお願いしたんです。警視庁はやってくれました。ところが、練馬のインターを越えた辺りで、埼玉県の県境に入ると、警視庁は東京都の警察ですから、どんどんと消えていくわけですね。撤退していくわけです。だから、埼玉県に入れば埼玉県の県警にお願いしなきゃいけないわけですね。こんなような事態で、いわゆる危機でありながら、やっていることが平時だと、こういうことになっちゃうんですね。
しかし、杉並区の援助物資は一番最初に到着しました。六時にこの地震があってから、着いたのが一時頃でしたけれども、一時に着いて、もうみんなから喜ばれました。元気も与えてくれたと言われました。
私は何を申し上げたいかというと、やはり緊急事態は緊急事態の考え方があるということを申し上げたいと思います。それは、やっぱり、昨日もうまくいったから今日もうまくいく、今日もうまくいくからあしたもうまくいくんだろうというのは、これは平和ぼけであります。
緊急事態というのは、ウクライナの情勢が日本で起きたらどうするの。又は大地震。今年は関東大震災から百年ですよ。これが起きたらどうなるのと。パンデミック、もっとひどいものが起きたらどうなるのと。こういうときに、一体予算やいろんな決定はどうやって行われるのと。そういうことを想定して、それへのあらゆる対策を取っていくことがここで議論すべきことであって、その割には五十四条は本当に狭い範囲しか決めていないと。衆議院が解散されたとき、七十日間に当たって緊急集会を開く。こんなんじゃ対応できるわけありませんよ。
やはりそういった意味では、やはりもうここでやることは、あらゆる事態、想定外を考えない、全部想定内で、どういう対策を取るかを考えて憲法を考えるべきだと申し上げて、私からの意見を終わります。